80%ぐらいのがんばり

娘との生活や読んだ本など

津村記久子『ポトスライムの舟』小さな希望をつないで生きる

働きたくない。会社に行きたくない。

最近とくにこう感じるので、津村記久子の作品を数冊図書館で借りてきました。

第140回芥川賞受賞『ポトスライムの舟』

主人公のナガセはモラハラで会社を退職後、乳液工場のライン工として4年ほど働く契約社員。29歳未婚、女性。手取り13万8千円。ある日、職場に世界一周クルージングのポスターが貼られているのを見て、その金額が163万円。自分の手取り年収1年分とほぼ同額であると気が付きます。

入れ墨から世界一周クルージングを夢想する日々へ

ナガセはこの世界一周ポスターに出会う前は、腕に『今がいちばんの働き盛り』という入れ墨を入れようかと考えていました。

「ぶっ飛んでんな」と思いますが、実はその思考が生まれる背景はとても共感できるものです。

一文字いくらかはまだ知らないが、仕事をするモチベーション保つための経費だとすれば、数万までならなんとか出せると思う。

『時間を金で売っているような気がする』 というフレーズを思いついたが最後、体が動かなくなった。働く自分自身にではなく、自分を契約社員として雇っている会社にでもなく、生きていること自体に吐き気がしてくる。時間を売って得た金で、食べ物や電気やガスなどのエネルギーを細々と買い、なんとか生き長らえているという自分の生の頼りなさに。それを続けなければいけないということに。

痛い。痛いぐらい共感できる。

働くうえで、なんらかの理由や動機付けが必要なときってあるように思います。

食うために金を稼ぐ。事実であり、真実なんだけど、「食う」が単に「命を長らえさせること」、これとイコールだとやりきれないときが。なんで働いてるんだろうが、なんで生きているんだろう…になってしまうときが。

生きるために薄給を稼いで、小銭で生命を維持している。そうでありながら、工場でのすべての時間を、世界一周という行為に換金することもできる。ナガセは首を傾けながら、自分の生活に一石を投じるものが、世界一周であるような気分になってきていた。

入れ墨から、世界一周へ、ナガセの目標は転換します。本当に世界一周に行きたいのかどうかは本人もわかりません。でも、その目標は非日常を意識させるものです。「わかった。貯めよう」とナガセの決意は固まります。

毎日会社に行くために「小さな希望」を求めている

仕事はクソ。でも、週末の〇〇のため、来月の○○のために会社に行く。

小さな楽しみ、希望。そうしたものによって、日々を乗り切っている人は多いのではないでしょうか。乗り越えるのではなく、「とりあえずそこまでは…」と自分に言い聞かせる。身に覚えがあります。

しかし『ポトスライムの舟』を読むと、私はそれが本当にやりたいことなのか、好きなことなのか、疑問もわいてきました。

大切なのは「希望らしきもの」を思い描けるということであり、その内容はナガセのように、突発的な願望と大差ないのかもしれません。

でも、ナガセ、君はそれなりに人を助けているよ

ナガセ目線で進むので、ナガセががむしゃらに働きながら、狭い世界で時に虚無感と戦いながらなんとか生きている…ようにも見えるのですが、私はナガセは自分のことで精いっぱいにみえて、それなりに他人を助けて生きている人間だと思います。

ナガセは母親と同居中ですが、家には過去に仕事をやめた友人のヨシカが転がり込んだことがあり、作中では離婚を決意したりつ子とその娘の恵奈が避難してきます。仕事の休憩時間には、工場の同僚で夫が不倫中の岡田さんの話を聞いたりもします。

ナガセはナガセなりに周囲の人と関わり、その場にいることで少しだけ力を貸している。仕事をして自分を生かして、他者と関わり、やれることはやっているんです。

生きてますよ。ちゃんと生きてます。

表現が難しいのですが、この本の登場人物はちゃんと生きてます。ヨシカも、律子も、ナガセの母親も、岡田さんも。

みんなちゃんとしてるじゃないですか!がんばってるじゃないですか!

と私は言いたい。褒めたい。言い返したい。だれに言い返すのかわからないけど。

 

『ポトスライムの舟』の登場人物は、津村記久子の別作品『ポースケ』とリンクしており、『ポースケ』では彼らのその後がわかるらしいので、こちらも読んでみようと思います。