80%ぐらいのがんばり

娘との生活や読んだ本など

子供との遊びが辛いときの対処法

子供との遊びが苦痛なので、今日は一緒にクッキーを作りました!

私はお菓子作りが趣味なわけではありません。むしろ一人では絶対やりません。

ですが、粘土遊びをしながら2時間クッキー屋さんごっこに付き合わされるぐらいなら、もう割高のバターをがんがん入れて、小麦粉をどばどば床に零しても、子供と一緒にクッキーを作ったほうが断然有意義でした!

…子供と遊ぶのが最近、特に辛いのです。子供のことは大好きなのに、フルタイム勤務なので平日は1時間前後しか遊ぶ時間もないのに、遊び相手するのが億劫に思えて仕方ないときがあるのです。

でも、そんな私にも少しだけ打開策らしきものが見えてきました。

同じように悩んでいる方の参考になればと思います。そして、良いアイデアをお持ちの方は、どんどん教えてください(切実)。

子供の遊び相手が苦痛になる3つの原因

まずは、原因から分析します。なぜ、母親である私は、可愛い我が子の遊びに付き合うのが辛いのだろうか?

1.謎のマイルールが存在

赤ちゃんの頃は、ミニカーをぶん投げるなど、自由すぎるほど自由だった子供も、ある程度の年齢になると、ルールを理解して遊ぶようになります。しかし、そのルールが大人からすると理解不能なこともしばしば。

我が家の理解不能な遊びを挙げるなら、2歳の頃にやりだした『鬼のいないかくれんぼ』が代表的です。かくれんぼという遊びを一応理解したからこそできる遊びではあるのですが、「ママはここに隠れて」と押入れの中に連れていかれ、娘は布団に潜る。その後、「まあだだよ~」と娘が叫び続ける遊びです。

今思い返しても、その不毛さに「辛い…」と一瞬でうつ状態になれますね!

2.遊びの終わりが見えない。何度も同じことを繰り返す

『鬼のいないかくれんぼ』もそうですが、子供の遊びは終わりが見えません。最初は微笑ましく思っても、高確率で付き合っている親は途中で飽きます

うちの子は、非常に根気がある性格で、それが私にとってどんなに面白くない遊びであろうとも、一度はじめたらめったに飽きることはありません。砂場にいけば、3時間は余裕で、砂場遊びに集中する。滑り台を滑らせれば、他の子がほかの遊具に目移りしても、「なにがお前そこまで駆り立てるんだ?」というぐらい、登って滑ってをひたすら1人で繰り返す…。

しかし、私などまだ序の口かもしれません。ママ友は、子供がひらがなを覚えてすぐの頃、カルタの読み手をやりたがり、自分はひたすらカルタをとる役割をやらされたそうです。札を全部取って、「そろそろ終わりにしよっか?」と促しても、繰り返される「まだやる!」攻撃。

夢中になっている対象がお勉強に関わることだけに、無下にしてはいけないという心理が働き、競争相手のいないカルタにひたすら付き合ったそうです。

しばらくは夜寝る前など、静かな環境に身を置くと、子供がカルタを読む声が聞こえる…といった後遺症も出たそうです。

3.そんな気分じゃない…が通用しない。

子供が3歳になり、これで少しは一人遊びもできるようになるかな?と思ったら、そうでもなかった。むしろ知恵がついてきた分、真剣にやらないと怒られたり、ダメ出しされるようになりました。

結果、「わぁ~おいしそう!」って、毎日ペットボトルキャプの中に、ビーズ入れて、おにぎりに見立てた物体をもぐもぐと食べる真似を繰り返す日々です。

帰宅後に余力がある日はいいんです。しかし、疲れているときは、表情筋が引きつってます。無理をしている自覚があります。

親にとって苦痛に感じる遊びを見極めよう

子供に好きな遊びがあるように、付き合う大人にも、遊びの好みというのが存在します。

母親である私が好きな遊び

整理した結果、私が子供の相手をしても、ほとんど苦痛に感じないのは以下のような遊びです。

・絵本の読み聞かせ

「何冊も同じ本を読むのが苦痛!」という人もいると思いますが、私は1時間ぐらいなら例え同じ本でも読み聞かせしていてそこまで苦じゃありません(できるなら違う絵本がいいですが)。

娘は図書館の布絵本で遊んだり、絵本や図鑑を見ながら「なぜ?なに」攻撃をしてくることもあるのですが、そうした時間はむしろ好きです。娘の好奇心がどこに向いているのか見るのも好きですし、「よくできているな~」と絵本や図鑑の制作者側の意図を察するのも楽しいです。1番自分の趣味・嗜好にマッチしている遊びといえるでしょう。

・散歩や外遊び

ほぼ週末しか行けないのですが、外遊びを苦痛に感じたことはあまりにありません。むしろ、外に出たい。例え3時間ひたすら砂場で遊ぼうとも、外にいるだけで解放感が違います。公園で子供と過ごす時間は、最も幸せを感じる瞬間です。

・工作・制作・パズルなど

子供の遊びは、大人からすると「それで?」と目的や意味のないものが多い。そうした目的や意味に縛られない遊びが大切なことは理解できるのですが、残念ながら私は童心を忘れてしまったため、付き合いきれないんですね。そのため、なにか目的があったり、目に見える形(成果物)が残ると非常に安心します。

しかも、こうした制作系の遊びは、子供の遊び相手が苦痛になる原因で述べたようなマイルールが入り込む余地も、終わりが見えないといった事態も避けられます。疲れていても、手を動かす行為はむしろ気分転換になって、余計な思考から解放されるメリットもあります。

ちなみに、この理屈でいえば、本当はレゴなどのブロック遊びも良いはずなのですが、娘はまだ大したものが作れないので、指人形用の部屋を作って!などと指示されるので、私はあまり楽しくないという現実が…。

母親である私が苦手な遊び

私が苦手な遊びは疑いようもなく以下です。

ごっこ遊び

おままごと。お店屋さんごっこ。バスごっこ。などなど。

馬鹿らしいとは思いません。よく思いつくな、よく見てるな~と感心はするし、保育園ごっこなどは普段の様子が知れて興味深いです。ほかの人と娘が一緒に遊んでいるのを見るのも楽しい。

しかし、自分が参加するはダメ。「これ、いつ終わるのかな?」と遊びが始まって5分後には、気もそぞろになっています。

好きな遊びとして、「工作・制作・パズル」をあげたのとは逆に、なんの目的もなく、なにも残らないことに時間を無駄にしているような感覚に襲われてしまい、集中できないのです。

現在、実践している対処法

端的にいうと、子供をできるだけ母親である自分の好きな遊びに誘導することです。

私はごっこ遊びが苦手なので、それを回避するように、その他の遊びで時間を埋めるようにしています。

人によって苦痛に感じる遊びが違うので、「全然参考にならない!」と思うかもしれませんが(石を投げないで!)、重要なのは遊びの主導権を子供ではなく、親が握ってしまうという発想の転換です。

ごっこ遊び」を「本物」に切り替える

 冒頭で述べたように、お菓子作りは別段好きではありませんが、粘土のクッキー屋さんごっこはそろそろ遠慮願いたかったので、「粘土で遊ぶ!」と繰り出されたタイミングで、「それよりクッキー作らない?」と誘導しました。

以前、おままごとブームが到来したときには、米をとがせたり、パン焼き機への材料をセットをさせたり、おにぎりを握らせたり、なにもなくてもとにかく卵を割らせてかき混ぜさせたりした際、子供が思いのほか真剣に、喜んで取り組んだという経験からです。

本物に触れさせると、そのときの状況を再現したくて、逆にごっこ遊びがしたくなるという危険性もありますが、料理系は「次はこれ作ろうか?」などネットのレシピ写真を見せたり、「材料はなにが必要?」と買い物メモを作るふりして、エンドレス状態に突入するのを回避できます。

ちなみに路面電車の絵本に影響されて、電車ごっこが流行したときは、一緒に時刻表を調べて乗りに行きました。

本物に触れさせて、子供に悪いこともないでしょうし、計画を立てる時間は大人でも楽しいのでおすすめです。

散歩に連れ出す

家での遊びが苦痛なら、散歩に出ればいいじゃない!

いつもは保育園から帰宅すると、すでに6時を過ぎていて、即夕飯となり、夕食後~お風呂の時間までが遊びタイムです。でも、温めればごはんが即食べられるような状態の日は、帰宅後に10分~20分程度、近所を散歩しています。

夜9時までにお布団に入ることを習慣にしているので、「散歩に行った場合、夕飯後は遊んであげられない」ということは子供に言い聞かせています。(時々、散歩もしたい!ごはん後も遊びたい!となるが…)。

少し夕飯が遅れても、親子でのんびり歩いて、野良猫を発見したりなど楽しい出来事もあって、満足感があります。外で過ごす時間はまったく苦にならないので、たぶん私は密室で子供二人きりというのが苦手なのだと思います。自分が苦手な状況は、できるだけ回避したほうが、良さそうです。

習い事もありなのかもしれない…

実践しているわけではありませんが、子供の遊び相手をするのが辛いという方の場合、習い事をさせるというのもありな気がしています。身につく、身につかないといった次元の話ではなく、子供はいろいろ発散できますし、親も気が楽になるのでは?

ただ、我が家の場合、平日は時間的に無理ですし、やはり保育園で過ごす娘の疲労を考えると、土日はなるべく予定は入れたくないんですよね。そのため、保留。効果的な方法な気はしています。

子供と遊ぶのではなく、一緒に過ごす時間が楽しければOK

子供が好きな遊びを選択して、親もその遊びに楽しく付き合ってあげられれば理想的です。でも、「楽しくないもの」と感じてしまっているものはどうしようもありません。義務感で我慢して付き合うか、強引にでも主導権を握ってしまうか。私は後者のほうが良いと判断しました。

本当は子供も遊びの種類はなんでもよく、単に親に甘えたい、一緒に過ごしたいだけという気分の時も多いように思います。

子供と楽しく遊ぶのではなく、楽しい時間が過ごせればそれでOK。我が家はしばらくそんな割り切りのもと、日々を送っていく予定です。

 

※本記事は、子供が3歳ぐらいの頃に執筆した記事です。我が子は小学生になり、少しずつ事情も変わりつつありますが、「子供の遊び相手が辛い。つまらない」というのは、今も時折感じますねw

トランプやオセロなどルールのある遊びができるようになった点はありがたいですが、その分「もう公園はいいだろ…」と飽きてきました(苦笑)

コメントをいただく機会も多く、「子供の遊び相手がつまらない」というのは大人としては無理もない感情なのだと理解しています。