80%ぐらいのがんばり

娘との生活や読んだ本など

私を支え続けた「死にたいと思ったら本を100冊読め」という言葉

帰るべきところへ帰るだけ。

 

別に死にたいと思っているわけではないのだが、死にたいというほど追い詰められているわけでもないのだが、「人生の行き止まり」感みたいなものを覚えてどうしようもないときがある。

 

先日「これから先、自分にとって起こるかもしれない人生のサプライズは、良いものよりも、悪いものである可能性のほうが明らかに高い」とふと気づいた。多感だった10代の頃も、人生でよくないことが起こる想像はした。でも、同じように良いことが起こる想像もできたのだ。まだ何者でもなかったから。

 

そんなおり、久々に小説を読んだ。救いをその本に求めていたわけではなく、本当になんとなく。読書は生活の一部だけど、最近は実用書が多く物語はあまり読んでいなかった。

 

読みながらタイトルの言葉を思い出した。「死にたくなったら本を100冊読め」。かつての私にとって座右の銘だったはずなのに、なぜかここ1年ほど忘れていた。

このセリフはご立派な小難しい本に書かれていたものではない。大槻ケンヂのエッセイに「漠然と死にたくなったらどうしたらいいの?」という読者の質問があり、それに彼が答えていたものだと記憶している。大槻ケンヂ自身の言葉ではなく、北方謙三氏の言葉の引用、またはオーケンなりの解釈を加えたものだったかもしれない。

私はこの言葉に出会ったとき、「確かに」と納得し、自分にとってこれ以上の処方箋はないだろうなと思ったのだ。

 

そうだった。本はいつでも私を助けてくれたし、これからもきっとそうだ。毎日に嫌気が指しても、例え悪いサプライズが起こっても、私には「本を読む」という楽しみが、喜びが残されている。時に隣の芝生が青く見えたって、私はただ本を読んでいるだけで幸せを感じられる人間じゃないか。もしお金がなくなって生活に困っても、図書館で本を読むという楽しみが私には残るはずだ。そのとき、そのときの自分の気持ちに寄り添ってくれる本が絶対に世界には存在する。

 

私が子供に教えられることはとても少ないけれど、本を読む習慣さえつけてあげられれば、いつかあの子を助けてくれるかもしれない。

 

100冊読んだわけではないけれど、上・中・下巻の長編小説を読み終えて、私の心は今とても穏やかな状態にある。また荒れる日がくることはわかっているのだけど、そうしたらまた本を読めばいい。